04.王女と新しい仕事 iv

戴冠、或いは暁を待つ

 丘のふもとには、城壁が迫る。
 かつてトゥーリーズは工房を擁する城であったため、城そのものが解体された今でも壁のことを城壁と呼ぶのだ。当時の功績を讃え、これには〈銀の壁〉という名前があった。
 この〈銀の壁〉は壁伝いに歩くことで、どの通りにも入ることができる。要するに領主邸前にある広場と同じだが、城壁に唯一の門に接するこちらのほうが何倍も広い。
 城壁の外とつながっているだけあって、荷車が二台すれ違ってもまだ余裕がある。その余裕の部分には、出入りの手続きを待つひとびとを狙う露店の姿も多かった。
 合間を縫うように歩むひとの姿には、軍装をまとった者も少なくなかったが。
「腹減ってるときに来る場所じゃねぇな。財布置いて来て正解だったわ」
「……昼は?」
「抜いて来たよ」
 あっけらかんと笑うクロイツは、ブラシをずるずる引きずっていた。
 持ち歩いても目立たないもの、という指定でハイロから借りたものだが、目立っていないかは微妙なところだ。買い物をする人間も使う場所なので、見るからに怪しいということはない気もするが、まあまあ目立つ。
「時間がなかったのか? せっかくだし、工房で食べてくればよかったのに」
「腹が膨れてると刺されただけで死ぬからなあ」
 僕は目を瞬かせた。隣を歩く魔術師は明朗に笑ったまま、空いた手で自分の腹を撫でる。
「あと、殴られたときに吐くし」
 釣られて僕も腹を撫でる。あれからスープのおかげで大量の水を飲んだせいか、まだ結構な満腹感があった。ということは、つまり。いや、それよりも。
「君、本当にどこに行くつもりなんだ」
「さっきも言っただろ。おまえの本業にもちょうどよさげな現場だ」
 クロイツは軽い足取りですいすいと前へ進んで行く。
 僕の不安なんて、きっと彼にとってはまつでしかないのだ。というか、瑣末事であるかどうかさえ怪しい気がする。どうせ彼にしてみれば、自分の態度がどのように主人へ報告されるかなど、不安材料ですらないのだろう。
 ゆえに僕は彼を止める手立ても持たず、黙ってその後ろを歩いて行くしかない。
 しかしながら、クロイツはそんなに長い距離を歩かなかった。壁沿いに点在する小屋のひとつに行き先を定め、寄り道のひとつもしない。
 いちおう小屋と表現してはみたものの、それが本当に小屋であるかは微妙なところだ。建屋は壁に半分食い込むような塩梅だし、小屋と呼ぶにはずいぶん薄っぺらに見える。
 観察する僕の目線に気づいてか、クロイツはその奇妙な作りの理由を解説してくれた。元は壁の中に荷物の上げ下ろしをする空間があったところに、雨風除けの屋根と壁をつけたのが始まりらしい。
 通関の窓口として使われているその建物には、たしかに入り口の扉が存在しなかった。かわりに厚手の毛氈もうせんが二枚、隙間を空けて垂らしてあるだけだ。
「よぉ、おふたりさん。俺がいない間、元気にしてた?」
 ついでに言うのであれば、床もなかった。踏み込んだ足の下では、じゃりじゃり砂が噛み合う音がする。そんな空間であるにも関わらず、小屋の中は見た目よりも広く、なにより暖かかった。吐き出した吐息の熱が煩わしくなって、僕は襟元のぼたんを外す。
「心配されるまでもなく壮健であったぞ。そしておまえが来るまでは、機嫌もよかった」
 円筒型のストーブの隣に座った女が、こちらも見ずにそう告げた。濃い青の軍装がよく似合う、やたらに背の高いひとだ。ぴんと伸ばした背筋には、武芸者のような風情がある。
 クロイツは芝居がかった動作で肩をすくめると、ずかずか小屋の奥に進んで行った。
「お邪魔します」
 と改めて声をかけながら、僕も彼に続く。ただし、足取りはなるべく静かに。
「おや、珍しいね。連れがいるのか」
 そう声を発したのは、硝子窓の前に陣取った男だった。その左手首にはめられている腕輪は、一切の継ぎ目を持たない二連の木の輪。領内への人民や荷物の出入りを管理する、どこにでも必ずいる役人の印だ。
 色は柳煤竹やなぎすすたけまごうことなきトゥーリーズの所属を示すものである。
「今日は正式に外へ行くのかな?」
 役人の男の言葉に、クロイツは首を横に振る。
「いや、ちょっと用事があってな。ここが一等落ち着くから、ここで待たせてもらいたい」
 男は丸眼鏡の向こうにある目を細めて、さも嫌そうな顔を作った。いっぽう僕はクロイツの台詞の意味を取り兼ねて、思わず首を横へと傾ける。
 こちらを一瞥した軍服の女がすかさず口を開いた。
「……この男はな、ひとには言えないやり口で、領内の厄介ごとならなんでも知っているのだ。だからこいつの用事というのは、絶対にろくでもないことだと相場が決まっている」
 小屋の中は薄暗く、よく見れば彼女の瞳がぎらぎら光っているのが見て取れた。ハイロと同じ、月と星のある明るい夜空の色である。
「ひと聞きの悪い言い方はやめろ。猫のくせに背中伸ばしやがって」
「二足歩行のときは、背を丸めているほうが肩がるのだ。喧嘩なら高値で買ってやるぞ」
 クロイツはこれには言葉を返さず、黙って袖をまくった。
 しかしながらハイロがそうであるように、女の上背は僕よりずっとありそうだ。僕よりも小さなクロイツが、殴り合いの喧嘩で勝てるとは思えない。
「ふたりとも、やめなさい」
 どちらを止めるか悩んでいたら、窓のほうから声がかかった。声をかけた当人の近くにある窓から、男女ふたりが中を覗き見ている。
 その不安そうな目線を認めた僕はそっと壁際に――窓から見えにくい位置に寄った。同時に青い髪の女は黙してストーブをめつけ、クロイツは爪先立って吊戸棚に手を伸ばす。
「これ、親切でかっこいいお兄さんからだって言って渡して」
 棚上にあった缶から掴み出された飴玉の包みが、宙を舞った。
「あちらの軍人のほうから。私物ですので、どうか内密に」
 受け取った役人の裏切りは一瞬だった。
 開いた窓から飴を差し出しながら、空いた手のひと差し指を唇の前で立てる。
「どうやら〈壁のトゥーラ〉からお越しのようですね。ご用向きはいかがなものでしょう?」
「商いに参りました。ようやく品物が揃ったので」
 応じる男の声は妙に震えていた。その声色を耳にして、僕は慎重に窓の外をうかがう。
 男のほうも女のほうも、ひどくやつれた姿だった。そして言葉とは裏腹に、彼らのそばに荷物がある気配はない。そんな彼らの様相に、僕は自分の判断が正しかったことを悟った。同時に痛ましいよりも申し訳ない気分に襲われて、僕は背を丸める。
 でき得る限り小さくなって、誰にも見えなくなりたかった。
 ――この国をどうなさる心算つもりかと、苛立ちを隠そうともしない声が聞こえたような気がした。それはともすれば僕にとって両親よりも親しい、先生の声。
 目を閉じれば最後、先生が投げつけた紙が飛び散るさままで見えてしまう気がして、僕は目を開くことに注力する。
「行商ですか。近ごろではすっかり珍しくなりましたから、トゥーリーズの人間にもありがたいでしょう」
 そんな僕の目の前で、役人の男は柔和に微笑んだ。
「どうぞ、ゆっくり滞在なさってくださいね」
 窓の外の女がうなずいて、滞在証となる割符を差し出す。今にもちぎれそうな組紐で束ねられたその数は、三――クロイツが飴を渡せといった相手の正体に、僕はなんとなく思いを巡らせる。
 ここから姿は見えないが、きっと子どもがいるのだ。そして彼らの正体も行商などではない。あれは自分たちの暮らす領地で税が払えず、首か腹を括るしかなかった難民だ。
 先生が母の足許に放った紙に名を綴られていた、哀れなひとびとと同じ。目の当たりにしたのははじめてだが、彼らをそれだと判じるだけの知識は僕にもあった。丸眼鏡をかけた役人にも、それがわかっていないはずはない。そうでなければ、彼があんなにまで明るい声を出す理由がない。
 ――アマリエなどは自分の主人の統治に全幅の信頼を寄せているが、あれにはこういう絡繰からくりがあるのだった。エクリールは先生の友人であり、同時に賛同者である。裏を返せば彼は王妃に対する反逆者であり、その治世によって追い詰められた者を〈壁のトゥーリーズ〉へと匿う絶対的な庇護者だ。そして今はまだ、その所業を王都から咎められるに至っていない。
 だからこそ、役人の男は馴れた様子で、行商だと名乗ったふたりに宿と手続きの案内をしている。その調子に釣られてか、応じるふたりの声も少しずつ生彩を帯びて来た。
 けれども、子供の声は聞こえない。
 もしやと嫌な想像が脳裏をよぎる。が、それが明瞭になるより前に、クロイツが動いた。
 彼はその手に缶をたずさえ、大股に窓のそばへ歩み寄る。役人の男がそれを止める間もなく、缶は窓の隙間へとねじ込まれた。
 それを受け取るべく伸ばされたのは、小さな小さな、子どもの両手。
「あそこにいる女は子どもを太らせて食うのが趣味だからな。なるべく高いところで、見つからないように達者で暮らせよ」
「うん!」
 応じたのはまだ高い、男の子の声だった。
 それを聞いた僕は、どこか安堵に近い気分で砂の上に座り込む。嫌な想像は形を成すこともなく、掌上に落ちた雪片よりも儚く消えて行く。
 そのうち短いようで長い時間が経ったころ、襟を後ろから引っ張られた。ぐぇ、と出したことのない声が口から漏れる。
「ルカ、おまえは割と普通に馬車で王都から来た手合いだって聞いたぞ。それとも波瀾万丈はらんばんじようの亡命秘話でもあんのか? え?」
 慌てて立ち上がると、顔全体で呆れたふうを見せるクロイツと目が合った。こうして至近距離で並んでみると、やはり彼のほうが僕より小さいのだとわかる。
「まぁたしかに、それはないんだけど……」
 真逆に、向こう側で立ち上がった女はやはり僕より大きかった。
 その無表情から察する限り、どうも彼女はヒトに化けるのが得手ではないらしい。それでも毛布を抱えたその姿から懸想するに、心配はしてくれているのだろう。できる限り頭を下げると、彼女は首を横に振る仕草で応えた。
 クロイツの側はすんと鼻を鳴らして、掴んだままだった僕の後ろ襟を離した。
 それを合図にまた言い争い始めた二者の姿を、僕は呆然と眺めるよりほかにない。
「ああいう難民を見るのは、はじめてかな。王都にはほとんどいないらしいし」
 役人の男のほうから声をかけられて、ひとつうなずく。
「……僕の出身をご存知なんですか?」
「ええ。君ね、窓に鎧戸のついた四頭立ての馬車でここに来たでしょ? あれの入領手続きね、全部僕がやったの」
 灰色の木の腕輪をはめた手で、男は窓枠に頬杖をついた。
「王妃様の御膝元――王都のあたりと比べると、辺境は税の取り立てが厳しいんだよ。なにせ目が届かないぶん、ある程度は額をそろえないと、監査役も来ちゃうしね」
 笑い含みの言葉に棘はない。そう判じて、僕は頭を掻く。
「驚いてしまってすみません。自分でもちょっと情けないんですけど……」
「衝撃だったと正直に言ってくれても怒らないよ」
 男はからからと快活に笑ってから、まだ言い争いの渦中にあるふたり組を一喝した。
 とたんに女は巨躯を丸めるようにして小さくなった。なぜか知らないが、クロイツのほうは勝ち誇ったように胸を張る。
 役人の男は溜息とともに首を振り、ふたたび僕のほうへと向き直った。

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