12.魔術師は語る vi

戴冠、或いは暁を待つ

 役所から戻って来たエクリールは、今日になっても宿舎から出て行かなかった。
 彼の住むべき場所は本来この宿舎の個室であるから、間違いではないのだが、珍しくないと言えば嘘になる。なにせ僕がこの街へ身を寄せたときからこちら、彼の住まいはずっと役所の一室であったので。
「アマリエがいると、四六時中蒸ふかしているわけにもいかないからね」
 ふわふわと微笑わらう顔は、久方ぶりに白煙の紗幕を通さずに見るものだった。寝台の上で上体を起こしたトゥーリーズのあるじは、今日ははじめから煙管を手許に置いていない。
 実のところ、エクリールはアマリエと顔を合わせるどころか、同じ建物にいることが少ないのだ。たとえ煙管を銜えていなくても、彼の身体は冬のはしりに似た例の匂いをまとっている。それはヒトにとって、けっして好ましいものではないからだ。
 なにせこれを深く肺腑へ吸い込めば、生じるのは奇妙な幻覚である。底知れず、迷えばいずれ帰れなくなるばかりの、現実と紙一重の幻。アマリエは小さいから、戻れなくなるのも早いだろう。
 エクリールはそれを危惧しているくせに、アマリエを雇うことをやめようとはしない。
 僕は心底呆れた気分で吐息をこぼした。その理由は眼前に座った旧知に対してのものが半分、その他半分といったところ。理由となったもうひとりは、この部屋にはいない。
 けれどもエクリールは、理由のすべてが自分にあると判じたようだった。
「明日にはあちらに帰るよ」
 とひと言、彼は左の瞼を指で撫でる。その上にあるべき眼帯は、ない。
 ましろに強い印象を残す眼帯の黒がなければ、エクリールの顔は奇妙に整っている。あるいは、人間らしさに乏しい。左右でわずかに色の違うまなこも、そういうものだとすぐに納得ができてしまう。
 なにせ彼は、獣の姿を持たないことを除けば、どうしようもないほど獣の側に近しい。ハイロやケイのような獣は、惰性として左右差の少ない整った顔を作るが、エクリールの顔はそれに似ている。
 その面貌めんぼうから目線を外して、僕は首を横に振った。
 別に僕は、エクリールがここから帰らないことを責めたかったわけではないのだ。
「して、クロイツのほうはどうだい? おとなしくしている?」
 問われて、これについては点頭てんとうする。
 ひとの平均と比べればおとなしいとは到底思えないが、聞き及ぶところから推定される彼の素行と比べればおそらく、おとなしいと称してもよいはずだ。たぶん。
 だから、この肯定は嘘ではない。
 そうかと短く応じて、エクリールは息を吐いた。喘鳴ぜんめいめいた音が喉から漏れる。
「ここしばらくはどんな塩梅?」
 重ねられた問いに、僕はまず唇の端を持ち上げることで応対した。
 この場にクロイツはいない。彼はアマリエによって、談話室で釘付けにされている。
 ――あの白衣の魔術師は、今夜は自身の雇い主に会いたくないと言った。そうしてわざわざアマリエを捕まえ、勉強を見なくてはならない理由を得た。つまりアマリエは実際のところ、彼の逃避に巻き込まれた形になる。
 エクリールへは適当に言い繕っておけ、とも彼は言った。
 彼の言う適当とは、都合の悪い部分は伝えるなの意である。つまり彼は僕に対して、エクリールをうまく誤魔化だましておけと伝えたわけだ。
 もっともクロイツは、僕が対応を間違えたところで、困ったりはしないだろう。彼がどのようなつもりで誤魔化しを求めたかは知らないが、少なくともその点において、僕は彼を信頼している。ゆえに僕はエクリールに対し、壁上と通関への訪問について素直に語った。
 伏せたのは、連絡を取った相手の名前と僕らの目的だけ。
 ついでに吹雪のさなかに起こったいくらかの事件を語って、エクリールの部屋を辞す。
 そうして談話室へと戻ったところで、僕はクロイツに出くわすわけだ。
「大将は元気そうだったか?」
 不安に曇ることとは縁遠い黒い瞳が、僕を見た。
「僕らの基準では微妙なところだね」
 冗談めかして首をすくめる。
 クロイツといっしょに談話室にいたアマリエが、ひとつふたつ瞬いた。それに笑って返してから、僕はクロイツのほうに顔を向ける。
 書き物をする指先は、大理石の彫像にも似た滑らかさ。およそ血が通っているようには見えないくせに、するすると動いて文字を綴って行く。
「明日はこいつをやっておくように。まだ乾いてないから気をつけろよ」
 ひっつめ髪を解いた頭で、アマリエは神妙にうなずいた。
 捧げるような手付きで紙面を持ち、思い出したように僕に頭を下げる。
「それではルカさま、おやすみなさい」
「おやすみ、アマリエ。よい夢を」
 談話室に残ったひとの姿は、少ない。去って行くアマリエを見送って、クロイツは彼らの姿を一瞥した。そのまま腕を組む所作を見るに、クロイツ自身はしばらくこの場に残るつもりだろう。付き合うつもりで、僕も向かいの席に腰を下ろす。
「アルトゥールには会えた?」
 机を挟んだ反対側から、返答のかわりに油紙の包みが滑って来る。天板から落ちる前に受け止めたそれは、別れの寸前、クロイツに預けたときと寸分違たがわぬ感触をしていた。
 要は、中には僕がハイロから預かって来た本がそのまま入っている。
「今日は壁の見回りかもしれんね、やつは」
 起床の時間が決まっている朝はともかく、宿舎における昼食と夕食のルールはさほど厳格ではない。特に夜の見回りの人員などは、そもそも夕飯の席に就かないことも多かった。
 アルトゥールを見たら荷物を渡してくれるよう頼んでおいたものの、もし彼が夕飯の席に就いていなければ、とんだ無駄な頼みごとだったことになる。が――
「誰が壁の見回りを?」
 頑ななばかりの声とともに、風を切る音がした。続けて重いもので頭を叩く鈍い音。
 束ねて表紙を付けた書類の角で頭を叩く、という一連の暴力が終わってから、ようやく僕は小さな声を出す。静止はおろか、警告にもなり切らなかった声は、耳まで届けばなんとも間抜けな響きだった。
「私は書記官ですからそういう仕事は致しませんよ、大佐付きの魔術師殿」
 書類の束を掴んだ左手の手首には、三連の灰木の腕輪。その先にある袖の布地は軍装と同じ花紺青はなこんじよう。視線を上げれば、がんに嵌った片眼鏡が蝋燭の光を撥ねている。
「そうだったかね」
 頭上に乗った書類を掴んで持ち上げ、クロイツはすんと鼻を鳴らした。
「何度申し上げれば覚えていただけるのか」
「覚える気がないから、何度言われても覚えない」
 背後からクロイツを打擲ちようちやくしたその男は、片眼鏡には似合わずまだ年若い。僕やクロイツとさして変わらない年だろう。
「……あなたがアルトゥール?」
 問うと、片眼鏡の奥の目がこちらを向く。鋭利な目線にたじろいでしまったのは、正面からそれを見るのがはじめての経験であったからだ。
「いかにも。……ああ、睨むようで申し訳ありません。目があまりよろしくないもので」
 慇懃な言葉と裏腹に、声色は冷え切っている。目線も鋭さを減じることはない。
「ルカ様ですね」
 続く言葉には棘などではなく、針が孕まれているようだった。
 僕がうなずいて見せると、彼は机を回ってこちらへやって来る。
 しゃんと伸びた背筋は服と相俟って軍人のように見えた。しかしながら、線の細さがそれを台無しにしている。残るのは峻厳しゆんげんとも取れる不愛想さばかり。
 このひとから本を借りられるアマリエのことを、僕は心底尊敬した。
 机上にあった本を差し出すと、彼は黙したままそれを受け取る。指先が油紙の表面を撫ぜたとき、かすかに乾いた音がした。
「……どうやら使い走りにしてしまったようですね。どこの家の方かは存じませんが、失礼を致しました」
「いえ、お気になさらず」
 クロイツは、叩かれたことについて噛みつくかと思いきや、意外なことに完全なだんまりを決め込んでいた。おかげでアルトゥールは邪魔立てされることなく包みの中を改め、すいと目線を下げる。それが目礼であることを悟るまでに、だいぶ長い時間を要した。
「まだ残られるのでしたら、暖炉の火を消さないようにしておいてください。それでは」
 彼が身を翻した後に残ったのは、机の上に置かれた書類の束ばかり。クロイツは手を伸ばしてそれを取ると、さも嫌そうに顔をしかめた。
 書記官が去った談話室に残るのは、僕とクロイツのふたりきり。暖炉からは薪のぜる音が聞こえて来るが、厨房で皿を洗う水音は聞こえない。食堂に至っては、すでに明かりも落ちている。
「……なんだか怖いひとだった」
 意図せず口をついて出た言葉に、書類をめくっていたクロイツが目を上げた。
「おまえは本当に他人に興味がねぇんだな。あの片眼鏡野郎はいつもあんな感じだぞ」
 僕はわずかに唇を噛む。彼の指摘はもっともだ。今さらアルトゥールを怖いひとだと認識する程度には、宿舎における僕のひと付き合いは乏しい。
「アルトゥールはな、書記官やってるのが心の底から嫌なんだよ」
 クロイツはなかば放り投げるようにして、手にした書類を机へ戻す。
「あいつの家は由緒正しい魔術師の家系だからな」
「……それって、君が邪魔でエクリール付きになれないってこと?」
「いいや。あいつ自身が、家の中では落ちこぼれどころの話じゃないってだけ」
 魔術師の家系において、落ちこぼれと言えば、意味するところはただひとつだ。
 その例に則って考えるのであれば、アルトゥールは限りなく確実に、魔術を行使することができない――ゆえに彼は不満のある職場に追いやられたのだろう。となると、今僕の眼の前にいる魔術師のことも気に入らないに違いない。そう考えればあの態度にも納得が行く。
「あいつは目が駄目なんだよ、目が」
 クロイツは親指と人差し指を使って、右目の瞼を押し上げた。黒く、けれども不思議と重さのない色のまなこは、紛うことなく僕を見る。その瞳に映る僕の姿が、僕が鏡中きようちゆうにおいて見るものと等しいかどうかは、実のところまた別の話だ。
 魔術師たちの目は、魔術に必要なものを見ることができると言う。
 それは僕らが魔力と呼んだり、竜脈と呼んだり、あるいはまた別の、畏怖と尊敬と呆れを含んだ名で呼ばわる〈不可視〉なるもの。獣たちもまた同じものを見る聞くが、ただのヒトには縁が薄い。アルトゥールがかけていた片眼鏡は、ヒトの目では見えないものを無理矢理にるためのものだったのだろう。
「……なんだか同情するな。絶対本人には言わないけど」
 僕は椅子の上に右足を引き上げて、膝に顎を乗せた。対して魔術師は、眼瞼がんけんを押し上げた指を離す。
 彼はそのまま肘掛に頬杖をつき、面白くもなさそうに息を吐いた。
「で、改めて大将はどうよ」
「調子が良くないって。だから、あまり詳しくは聞かれなかった」
 僕は嘘をゆるされたヒトの身ではあるが、この言葉に嘘はない。クロイツは頬杖をついた手の指先を折り曲げ、ふうんと気のない返事をした。
 続く沈黙は、薪の爆ぜる音によって破られる。目線だけでそちらを見やりながら、彼は紅をいた色の唇を開いた。
「壁に登ったことは?」
「話した」
「通関に行ったことは?」
「いちおう。……というか、そのふたつでほぼ全部だろ」
 まぁねと笑って、黒いまなこがこちらに向く。
「客人のことは聞けたか」
「聞こうと思ったんだけど、やめた」
 本当は聞いてもよかったが、聞かなかったのは僕の我儘わがままだ。誓ってエクリールに対する気遣いなどではない。僕は、それを彼に聞くことが怖かったのだ。
 クロイツはうなずきながら、緩やかな動作で立ち上がった。火掻き棒を片手に掴んで、くるりとひとつ回してみせる。
「こっちも収穫なしだ。アマリエも聞いて回ってみたらしいんだけどな」
 僕は膝上で首を捻って、それを見ていた。
「勇気があるな。聞いたのか」
「向こうから言ってきた」
 薪を詰めるために暖炉の灰を掻き出す背中は、いつもと違ってずいぶん丸い。そこに疲れの色が透いて見えるようで、間接的にアマリエの怒りの具合を悟ることができた。
 あの幼い侍女にとって、主人は会おうとしてもほとんど会うことのできない相手だ。一日のうちにひと言ふた言話せればいいほうであるために、彼女の主人に対する敬愛は、どこか信仰に近しいようにも見える。
 そんな塩梅なので、姿の見えない客人に対する彼女の嫉妬は察するにかたくない。
 クロイツは大仰に嘆息してから、掻き出した灰を袋に移した。
「ま、通関では収穫があったし、それでよしとしよう」
 僕はうそりと目を細める。
「それは僕も教えてもらえるのかな」
「あの雪の日以来、街に出入りした人間はいない、ということがわかった」
 どうやらあのとき、彼はやはり帳簿の中身を見ていたようだ。出入りした人間がいないのだから、見るべき内容は少なかっただろう。ならばあの短い時間でも、十分に確度の高い情報を得ることができたに違いない。
 灰の減った暖炉の中へ、かわりに薪が詰められていく。几帳面に大きさを測って詰められる薪は、無駄な隙間を生じない。一晩火を点し続けるための作業なのだが、ずいぶん儀式じみたやり方だと僕は思った。
「それじゃあ、客人はまだこの街に残っている可能性がある?」
 外套のフードを被ったままの頭が、緩々と左右に揺れる。
 予想のできていた答えではあったが、落胆しないわけではなかった。そうかと応じて膝に額を擦り付け、なんとか悲嘆の声を飲み込む。
「仮に残ってたとしても、来た記録もないんだぜ」
「――そういうことになるか」
「そう。で、そんなやつを捜せるとは思えないから、元々いないも同じだ」
 クロイツは嘘をつかない。かといって先生や、僕が知るそのほかの魔術師のように、言葉をぼかして韜晦とうかいすることもない。言えないことは言えないと明言する。
 彼が見つけられないと言うものを、僕が捜せる道理はなかった。諦め切れると言えば嘘になるが、諦めなくてはいけないのだとは思う。けれど――
「ここから先は、あくまで俺からの提案なんだが」
 降る声は雪に似ている。一切の余韻を排し、静謐と分類し得るひそやかな声音。
 それに釣られて顔を上げれば、いつの間にか少女じみたはくめんが僕を見下ろしている。
「おまえ、大将に怒られる覚悟はあるか」
「怒られるようなことをするつもりか」
「場合によっては。でも、これについては最初から禁止されてるわけでもねぇしな」
 僕は膝上に頬を乗せた姿勢で、しばらく彼の姿を見上げていた。言葉が見つからないわけではないものの、それを口にすることがひどく億劫に思えた。
「俺は明日から〈壁の外トゥーラ〉に行く。おまえは来てもいいし、来なくてもいいぞ」
 本気か、などと問う気も起きない。なんとなくそう言われる予感があったもので、驚くこともしない。意外であったのは、行き先として挙げられたのが山向こうの古巣アルシリアではなく、同じ平地に位置するトゥーラであったことだけだ。
 胡乱に思って目を細めると、鼻を鳴らす音が返って来る。
「来ないなら、ハイロにうまいこと言って工房に泊めてもらえ」
「……それ、誤魔化すとかそういう範疇じゃないよな?」
「そういうのは主観だから、俺の中では誤魔化しだ。さらに付け加えると、この行為はおまえにとっても利益がある。よっておまえは俺を手伝う義務がある」
 ――利害が一致するなら手伝ってやる。そう言って安請け合いをしたのは、僕だ。
 しかし、それが嘘であったと跳ね除けることもまた容易たやすい。ただひと言で済むだろう。幸いにしてヒトには、その権利が認められているのだ。
「で、どうする」
 だというのに、僕はそのひと言を口にはしなかった。たしかな甘さを秘めた声音に目を細め、僕は喉を上下させる。飲み込む唾はなく、骨を伝う音ばかりがひどく大きかった。

タイトルとURLをコピーしました