No Sound

 夜。
 それは腐肉食を持つ生き物のための時間なのだと、パヴェルはたびたび主張した。
「フナムシを捕まえるには最高の時間になった」
 なので、彼は夜の訪れことをそのように称した。食堂での大声に、ファルケの大学から来た者はすべからくうんざりした顔をした。
 逆に驚いた顔をしたのはファルケではない国の大学から来た学生たちだ。そのまなざしを一瞥したロズが、教授、とちいさな声で呼ばわる。
「ここはひとつ抑えてください」
 パヴェルは灰色の顎鬚を撫でて、楽しそうに笑った。その有り様に呆れながら、イェナはみずからの耳許を手で払う。さきほどから、ぶんぶんと低い羽音がしていた。この島は驚くほど〈虫〉が多い。コードで払っていたのでは口がいくつあっても足りないほどだ。
 録音を自動で流すことも考えたが、それがもたらす結果がよいものにも思えなかった。
 なにしろ、竜の虫は竜に従う。この虫たちがほんとうに主たる竜を持たないのか、ここに来てイェナはひどく不安になっていた。もしもこの数の虫に持ち主の竜がいるとすれば、それはきっと首座に近い竜のはず。その機嫌を損ねることは、よくない結果をばかりもたらすにちがいない。
 イェナは痛む頭を抑えつつ、そっと窓の外を見た。夜闇のなか、竜の気配はいまだに感じられない。竜たちは望めば完全にキャリアの目からも隠れることが能うが、それにしてもこうして虫ばかりを置いて行く理由がわからなかった。
 よからぬことを企んでいなければいいけれど、とイェナは思う。思って、宿舎を出る教授と院生の後を追う。建物の灯りが届かなくなるのを待ってから、イェナは花虫を一匹呼び出した。その口に救援を求める手紙を咥えさせ、いつでも放れるようにとやわくつかむ。
「電波の理由はわかった?」
 いつしか隣に並んだロズは、イェナのほうを見向きもせずにそう尋ねてきた。彼の瞳は足下を見ている。暗い砂浜には貝殻が転がり、場合によっては足を取られかねないからだ。
 イェナも同じものを見つめて、
「まったく」
 とみじかく応じる。
 ついでもう一匹花虫を呼び、自分たちの前を歩かせた。光り輝く羽毛のひよこは、前を歩かせるだけでも充分な灯りになる。歩くというよりは駆け足気味に前進する竜の虫を眺めることしばし、イェナは前方に目を向けた。青紫に照る夜の浜辺にあって、パヴェルはなんの苦もなく――足を取られることもなく、ずんずんどこかを目指して歩いて行く。
 どこを目指しているのかしらと思うのと同時、すごいよねとロズがささやいた。
「勘なんだってあれ。信じられる?」
「うーん……まぁ、信じるしかないですよね」
 ロズは、灯りがあってもたびたび砂浜でつんのめる。どちらが人間としてそれらしいのかしらと、イェナは詮無いことを考えた。そうやって考えごとをしてなお、イェナは砂に足を取られることはない。
 そうするうちに、ぴょんとひよこが跳ねた。従ってイェナも大きく足を持ち上げる。砂浜の終わりだ。まずいことになるなと当たりをつけて、ロズの右手を鷲づかみにした。
「肩が抜けたら転んだよりひどいって!」
 ロズはそのように叫んだが、砂浜の終わりは岩礁に続いている。仮にそこで横転すれば最後、目も当てられないことになると思うが、それについては黙っておいた。
「すみません」
 と小声で謝罪し、イェナはひとつ岩を飛び越す。
「ふたりともあんまり騒がないで。フナムシは臆病なんだから」
 岩棚の上に立ったパヴェルが、あきらかな怒りの色を含んだ声を発する。そちらにも謝罪を告げてから、イェナは運んできたリュックサックを下ろした。ジッパーを開いて、岩棚の上のパヴェルに中身を手渡す。
 虫取り網に防水ライト、防滴ポーチにサンプル瓶一式、その他もろもろ。渡せる荷物がなくなってから、イェナは落ち着いて周囲を見渡した。
 あれだけうるさかった痺虫たちは、この岩礁の付近にはいないようだ。同じく人の姿もほとんどない。研究室の馴染みの面々が揃っているだけ。
 首を捻った矢先に、頭上でパヴェルが含み笑う声がした。顔を上げると、彼はしたり顔で背後を指差す。そちらに蟠る黒は星空とは色合いを異にする、正真正銘の漆黒だった。
「山の向こう側のほうが遺跡や遺物が多いんだ。ふつうはみんなあっちに行く」
「ああ、それで……」
 ファルケは内陸の国家だ。海そのものの資源に興味を持つ研究者はすくなく、専門の研究機関はもっとすくないと聞いている。
 いつかアドラに帰るイェナは事実を知らないが、いつだかのロズの言葉には、こうしてみると妙な説得力があった。暗く影を落とす小山を見上げ、イェナはそっと息を吐く。ふつうと呼ばれた人々は、要するに大学の大半なのだろう。彼らはきっと、朝になったら大型機材で海底の遺物を探すにちがいない。それはそれで面白かろうと思いつつ、イェナは手近な岩に腰を下ろした。
 岩棚を登ろうとするロズと、それを応援するパヴェルを遠巻きに、運んできた端末の電源を入れる。電化製品である端末は痺虫たちの格好の餌だが、今なお羽音はしなかった。かわりに鼓膜を揺らすのは波の音と風の音。それから。
「痺虫どもめ。花虫がうろちょろしているぞ」
 女の声だ。
 イェナはぎょっとして顔を上げる。走らせた目線はややののち、岩礁に迫る波に釘付けになった。――人。人がいる。目が合う。波打ち際に立った女は目を眇めた。
「おまえ」
 と低い声を聞き届けて、イェナは口のなかの唾を飲み込んだ。視界の端、ようやく岩棚に登ったロズが、胡乱そうに眉をひそめている。その足下で辺りを照らしていた花虫が、ぴいと鳴いて岩棚を飛び降りた。
「イェナ」
 名前を呼ぶ教授の声は落ち着いたものだ。
「噂の雷竜かい?」
 イェナはゆっくりと頭を振った。あれは雷竜ではない。むしろこの島嶼にあって、雷竜よりもはるかに自然に見えるもの。
「水竜です」
 ようやく喉から零れた声に、女は目を丸くした。夜目にあざやかな、奇妙に澄んだ深い青の目を。笑うように響いた鈴の音を、イェナはけっして聴き漏らさなかった。

「そうか、あれは父親の竜の眷属か」
 遠巻きにぴいぴいと吼えていた花虫たちは、いつの間にかすべて姿を隠してしまった。気配さえも感じられないから、ひょっとすると遠くへ――この次元とは別の次元へ逃げ込んでしまったのかもしれない。
「やつらには悪いことをしてしまったな」
 青い髪の水竜は、ちっとも悪びれる気配もなく笑ってみせた。
「フナムシを捕まえるのに使われなくてよかったですよ。どうしても必要なら無理矢理呼べますから、どうかお気遣いなく」
 水竜はひとつうなずくと、岩に腰かけたまま首をかしげた。そうして下から掬い上げるような塩梅でもって、イェナの顔を見上げてくる。
 ちょうど蒼玉の色だな、とイェナは思った。懐かしいメーヴェの町の、屋根を染めていたのと同じ色だ。
「このあたりは雷竜がいるという話でしたけど、あなたとは別の竜がいるんでしょうか。もしいらっしゃるようなら、ご挨拶をと思っているのですが……」
「もういないから心配は無用だ。安心おし」
 イェナはまばたきをする。もう、ということは昔はいたのだ。そのあたりを知っているということは、彼女とは知り合いの竜であったのかもしれない。けれども眼前の水竜は涼やかな顔をするばかりで、この島嶼にいた竜との関係は窺い知れなかった。
 溜息とともに目線を通せば、潮溜まりが目に入る。女の仄白い爪先は、そこに浸ってはいるものの、風が織り成す小波にはなんの影響も及ぼさない。契約するキャリアを持たない竜らしく、彼女はこの世界にとって、存在しないものと同じであるのだ。
「この島にはよくいらっしゃるのですか?」
 竜は天敵を持たない。彼らを無理矢理下ろして弑したという話も寡聞にして聞いたことがないし、そもそもからして竜たちは強い。キャリアと契約中の竜であっても、竜を狙って殺すのは難しいはずだ。
 そんな彼らは生き物として必要なすべてが不要でもあるから、基本的に事情もなく定住はしない。イェナはそのように認識していたが、目の前の女は喉を鳴らして笑った。
「わたしの住まいはここなのだ。わたしはこの近辺で生まれて、この島で竜になった」
 イェナは顔を上げた。
「もしかして、それからずっとおひとりで?」
「いいや。おまえのいう雷竜が、しばらくこの島で暮らしていたのだ。もっともわたしが竜になってしばらくすると、やつはこの島を出て行ってしまったが」
 言いつつ、女は遠くパヴェルとロズのほうを見やる。
 ふたりは竜の存在など露も気にかけず、防水ライトを光らせてフナムシを探している。あれでは無駄足だろうにと呟いてから、女はふたたびイェナの顔を見た。
「くだんの雷竜のキャリアは研究者の仲間でな。そいつの遺物にくっついてこの島まで流れてきた、と言っていた」
 遺物。同じ言葉で表されるもののことを思って、イェナは山の影を振り仰ぐ。
 パヴェルの言を信じるならば、古い遺跡と遺物は山向こうの海に沈んでいるはずだ。雷竜がそれについてきたというのなら、彼、あるいは彼女の領分はそちらなのだろう。なるほどこちら側では虫の羽音がほとんどしないわけだ。――思えばメーヴェで出会ったそのときから、眼前の水竜はみずからに従う虫を連れていなかった。
「あちら岸の痺虫は、その雷竜が残していったものですか?」
「左様。わたしはあれと意を交わす術を持たないから、あちらにはなるべく近づかないようにしている」
 見れば、女は苦虫を噛み潰したような顔をしている。野良の、形を得た竜の虫に触れれば実害があるというから、痺虫を噛んだというほうが正しいかもしれない。
 イェナはかすかな苦笑を返して、自分もそうしたいと口にした。女の姿をした水竜は微笑んで、こちらはすぐに潮で沈むと言葉を返してくる。ついで彼女はまじまじとイェナの姿を見やり、感心したように息を吐いた。
「とはいえ。おまえはずいぶんと大きくなったな。人間としてはもう成獣か?」
「わたしたちは、大人、と言います。意味合いとしてはかわりませんが」
「大人。聞いたことがある。生まれてから十数年でなるのだったか」
 それはさだめし、野良の竜にとってはまばたきほどの時間だろう。にもかかわらず、水竜はやわやわと笑いながら、よく大きくなったとイェナを褒める。それがどうにもこそばゆい気がした。頰にひきつりめいたものを感じながら、照れ隠しのかわりに端末を開く。
「あなたとメーヴェでお会いしてから、もう七年になります。お会いしたいな、とは思っていたんですよ」
「――ねえ。それやっぱり、君がうちへの留学を志望した原因になった竜なの?」
 唐突に投げかけられた声に、水竜が顔を上げた。じっとロズのほうを見つめるまなざしに曇りはない。瑕疵や歪みの再現に至らないかりそめの姿はうるわしく、まっすぐに見つめられれば怯みもしようが、ロズはそんなことにはお構いなしだ。彼はただひたすらにイェナだけを見ている。
 イェナもまた彼を見返して、ややののちに首肯した。それからすこし首をすくめる。
「彼女が先輩と話す気になったら声をかけますから、そっとしておいてください」
 ロズはなにか言いたげに口を開いたが、言葉を口にするには至らなかった。それより先にパヴェルに服の裾をつかまれ、彼に連れられて岩の向こうに消えてゆく。
 その姿がすっかり消えるまでを見送って、青い髪の女はイェナのほうに向き直った。
「大学っていうのは研究者とその卵――研究者になりたい子どもが集まるところですよ」
 イェナは先手を打つ。この竜は知らないことを知らないとは言わないが、知っていることはよく語る。彼女はしばしイェナを見つめて押し黙り、やがて影になった山のほうを振り仰いだ。
 ついで、ふ、と細い息を漏らす。
「では、あちらにいるのは研究者の大人と子どもか」
「そんな感じの認識でだいじょうぶです」
「なるほど、それでずいぶんとうるさいわけだ。海にもばしゃばしゃと入ってくるものだから、魚どもがずいぶん驚いている」
「ご迷惑をおかけしています。止められればよかったのですが……」
 試みるまでもなく、不可能であることは明白だ。竜もなんとなくそれを察したのか、なんとしてでも止めろとは言わなかった。かわりに岩の上から立ち上がり、あらためてイェナの横に腰を下ろす。そうして並んでみると、目線の高さはほとんど同じにもかかわらず、足にはだいぶもたつきがあった。イェナにはちょうどいい岩の上でも、女は足を投げ出すようにしなくては座れない。
 難儀するなと思うイェナに構わず、女は長い髪を耳にかけた。人の見た目にそぐう、あまりに人らしい振る舞いだった。
「して、おまえはわたしになにか尋ねたいものでもあるのか?」
「ええと」
「わたしはそれを知っているぞ。わたしたちと話をしたいとき、研究者どもはかならずそいつを使っていたからな」
 水竜がそれと呼んだのは、イェナが膝に乗せた端末だ。まだ電源はつけていない。イェナが取り急ぎ電源ボタンを押すと、青い瞳がもの珍しそうに瞠られた。イェナが驚きとともに目線を上げたときには、そんな表情は余韻も残さず消えていたけれど。
 イェナはひとつ咳払いをした。それからキーを操作し、ずいぶんと古いディレクトリから必要なデータを引っ張り出す。だいぶぼやけた八本足の生き物だ。
 データ化された画像は写真とちがって劣化と無縁だ。久方ぶりにに画面に映した画像もまた、イェナがはじめて目にしたときから、ずっとこうしてピンボケしている。
「タコだな」
 けれども水竜は、そのピンボケの画像でも存分に生き物の判定が叶ったようだ。
「タコ」
 とイェナが口にすると、たおやかな所作で首肯を返してくる。
「マダコだろう。あの半島の先でよく見かける」
 水竜は腕を組んだ。
「あまり面白みのあるタコではないな。こいつがどうかしたか?」
「ええと。タコ、というのを、わたしは見たことがなくて。なんていう生き物なのかなってずっと悩んでたんです。ずーっと」
 物心ついてから過ごしてきた時間を思えば、ほんとうに長い時間であったと思う。それを伝える術がないのがもどかしかった。意識を共有しない竜とキャリアは、こういうわずかな意識の差異を埋めるべき言葉を持たない。基底となる「常識」があまりに異なるせいだ。
 何度か言葉を重ねるイェナに対し、水竜もまた何度かうなずいた。言葉が絶えるのを見計らったように、細い指がイェナの額を指差す。
「わたしたちにはクオリアの差がある。それでも、とても長かったということは存分に通じたよ」
「クオリア?」
 突きつけられた指先から逃れるような塩梅で、イェナは首をかしげた。女は伸ばした指を下げ、そのままみずからの顎をつかんだ。なにかを考え込む仕草だ。人里から離れ、契約をしたことがないという割に、彼女はこういう真似をしたがる。彼女の隣人であった雷竜の癖なのかも、とイェナは思った。
 くだんの雷竜は、すくなくとも一度はキャリアと契約していたはずなのだ。もしかするとこれらはすべて、彼(もしくは彼女)と契約していたキャリアの癖なのかもしれない。
「感じ方のことだよ。説明が難しいから、それ以上は聞くな」
 イェナは素直にうなずいた。イェナは昔から信心深いほうではないが、竜が望まないことをほじくり返す趣味はなかった。それが災いの種になる場合があることを、辰砂から繰り返し聞かされていたからだ。
 そんな真意を知る由もない水竜は、満足そうに微笑んだ。

「このあたりにはアドラから風が吹いてくるのさ。昔聞いたところによると、おまえが話していた町のほうからだったはずだが――はて、なんと言ったかな」
「ナハティガル?」
「ああ、そう、ナハティガル。電波というのもしょせんは空気の波だから、風に乗って流れてくるのだとさ」
 パヴェルは夜の岩礁に通うことを日課とした。
 その供として岩礁に通うイェナを、水竜は咎めることをしなかった。むしろどちらかといえば、暖かく迎えてくれているような気さえする。それが錯覚でないことを願いながら、イェナは彼女ととりとめのない話をした。
 大陸を取り巻く海の東西では食物連鎖の頂点が異なること、南の海で堆積物を食べる微生物が北の海では浮遊するだけの形態をとること、それを追う鯨の群れが外洋まで進出すること――水温の低い海域ではオキアミの仲間が窒素の循環に多大な貢献をしていると、聞いたことをそのまま伝達したときなどは、ロズが小躍りして喜んだ。水竜ははじめ、それを怪しむようなまなざしで見ていたが、そのうち彼の反応に慣れてしまったようだった。
 今日も岩礁の上でよたよたと踊るロズを眺めるおもざしは、怜悧と表すには冷え冷えとしている。
「そういえば」
 自身もまた冷ややかにロズを見守りながら、イェナはゆっくりと唇を開いた。
「あちら岸では運んできたクレーンの組み立てが終わったんですって。明日から本格的に遺跡の調査を始めるそうですけど……」
「けど?」
 目端に映った竜のおもてが、イェナのほうへ向き直る。
 合わせて真正面に美しい女の顔を見据えて、イェナは首をすくめた。――けど、というのは続きがあるときに使う言葉だ。けれどもイェナは続けるべき言葉を持たない。
 続けてよい言葉を、と言い換えてもよいだろう。
「けど、じゃなかったですね。始めるそうです」
「そうか」
 女の姿をした竜の返答はさっぱりしている。対するイェナは、色眼鏡に隠した紫の目を細めた。
「引き上げられたら困りませんか?」
「なにも。あの遺跡が近海の酸素の供給源だったのは、もうずっと昔の話だ」
「酸素」
 思わずつぶやいた言葉にうなずき、竜はつと足下の潮溜まりに目線を落とした。水を破るように動いた爪先が、乾いた岩を踏み締める。
 そうして身を乗り出した彼女は、イェナの膝に乗った端末をのぞき込んだ。やけに白い指先を揺らして、
「電気分解」
 と言う。
 ネットワークで調査せよ、ということだ。イェナは微苦笑とともに首を横に振った。
「水を酸素と水素にわける方法ですね。知っていますよ」
 今度は水竜が目を細める番だった。
「賢しいのだな。旧代の研究者にも引けを取るまい」
 感心したふうの言葉に、イェナはまた首を横に振った。イェナは研究者としてはあまりに未熟だが、自分の未熟さは理解しているつもりだ。
 そもそも旧代の――キャリアを製造したと言われる古代文明の研究者と比べれば、当代の研究者など、色水の変色遊びをする子どもに過ぎない。変色する色素を抽出する方法も、変色をもたらす試薬も、全部大人が与えてくれて、それを使うだけで精一杯だ。イェナはそのなかに混じって、一生懸命に花を絞りあげているところ。
「この端末だって、昔の人が作ったパーツを使っているんですよ。わたしはそれで遊んでいるだけで」
 つまりは、ほんとうになにかを〈一〉から作り上げるには至っていないし、ほんとうになにかを知っているとも言いがたい。
 水竜はひとたび目を細めると、端末から視線を逸らした。追って視線を動かせば、まっすぐに沖を眺めることになる。 
 月の光はひどく薄いが、それを差し引いても海は暗い。ほとんど漆黒に近い色だ。
 反して、海と同じ色をしているはずの竜の髪は青かった。夜の暗さの影響を受けていないのだと、イェナは今更のように閃きを受ける。証左に、岩間の向こうに見えたロズの肌は青白く染まっているが、水竜の横顔は抜けるような白を保ったままだ。
 イェナはひとつまばたきをして、今度は自分の指でディスプレイを指した。指先が触れた一点を起点に、液晶製の板が音もなく波立つ。
「でも、わたしのお母さんはすごいですよ。お父さんといっしょに竜の研究をしていて、来歴を調べるためのシステムを一から作ったんです」
 竜たちはすべからく前世と呼べるものを持つ。それらをより詳しく特定し、年齢などと照らし合わせることで、はるかな昔に起きた出来事をより詳細に知ることができるのではないか――というのが、イェナの父母の研究だった。父は竜との会話を担い、母は彼らの前世の特定を担った。生物種同定ソフトウェアはそのために母の手で作成されたもので、使用言語も拡張性に特化した自家製だ。
 その一点に限り、シエタの技術は旧文明に勝るとも劣らない。
「ふぅん……」
 イェナの説明を受けた水竜は、青い髪を揺らして首をかしげた。
「竜というのはおおむねが研究され尽くして、だいたいが前世までわかっていると聞いているが」
「ジオエレメンツと呼ばれる竜はそうらしいですね。でも、せいぜいが鳥とか魚とか止まりだったりしますでしょう?」
 すくなくとも父の竜はそうだった。散々質問を重ねて、ようやく答えてもらった彼の前世は「ネズミ」である。システムによればネズミ目ネズミ科カヤネズミ属カヤネズミ。
 ネズミはネズミでも、いわゆる家ネズミとは性質がちがい、野ネズミのなかでも特異な性質を持つ種だ。正確な種の同定をするとしないでは、そこから受け取れる情報の量が大きくかわる。イェナの父母が求めていたのは、その大きな情報を得ることそのものだ。
 曖昧に首肯する水竜に対し、よろしければ、とイェナは言った。
「あなたも確認してみませんか、前世。あなたのコードを捜す足がかりにもなりますし」
「わかるかな、そんなもので」
 水竜は足許を見る。ふたたび潮溜まりのなかに戻った爪先は、乾いた岩に水滴のひとつも残していない。
 それを目端に見やりつつ、イェナはにっこりと笑った。
「きっとわかると思います」
 ソフトウェアを立ち上げると、当然のように冷却ファンが回る。海辺で聞く回転音はなにか奇妙な唸りに似ていた。
 ――否、なにか、というのは正しくない。
 冷却ファンが立てる低音は、想像上の亡霊の唸りに似ているのだ。物語のなかにのみ息衝き、紫の目には映らない死者の末路。かつては研究のできていない竜を同じ名前で呼んだとも言うが、あいにく、イェナはそれを見たことがなかった。亡霊などと呼び表される竜はみな、その他の竜とは一線を画し、早々のことで世に現れることがないせいだ。
 研究ができていない竜とは、往々にして人の範疇の埒外に存在する。
 そういったわけのわからない代物でもない限り、母のシステムはある程度の種を特定できるはずだ。ついでにイェナもそれなりの知恵がついて、ある程度はシステムの補助ができるようになった。目の前の水竜がこうして現れ出ることが叶う以上、特定できない可能性は低いだろう。しかし――
「データが十全ではないので、実際の結果を持ってこられるのは、明日になってしまうと思いますが……」
 竜は鷹揚にうなずいた。かまわないと告げる声に被せるように、遠くの岩場から濡れた足音が聞こえてくる。
 足音の主はパヴェルだ。浮き輪のような腹回りを揺らしながら、弾丸のような速度で岩の上を走っている。潮に削られてできた割れ目も、鋭い牙を剥き出す漂流物も、彼の足を止めるには至らなかった。教授はそのままイェナの直近まで駆けてくると、水竜が腰かけた岩に座ろうとする。
 イェナはあわてて口を開いたが、パヴェルの尻が降りるほうが早かった。そして、水竜が立ち上がる仕草はなお早い。パヴェルを見下ろす女のまなざしは、常のとおりに涼やかに見えたが、その瞳に驚愕の気色が含まれている。その事実から目を逸らし、イェナは開いた唇から息を吐いた。
「あっ、もしかしたらここに竜がいた? 踏んでしまったかな」
 手にしたバケツを膝に乗せ、パヴェルは子どものように周囲を見回した。しかしながら彼の瞳は翡翠色で、竜が見える色ではない。
 イェナは改めて息を吸い、
「だいじょうぶですよ」
 とつとめて明るい声で告げた。
 パヴェルはイェナのほうに向き直ると、バケツの縁に両手を乗せた。やはり子どものようだな、とイェナは思う。
「僕は竜が見えないからねぇ。話ができたらとてもよいのだけれど……」
「おまえの雛鳥さえ認めてくれれば、わたしはおまえと話してもよい、と伝えてくれ」
 言いつつ、水竜はイェナのかたわらまでやってきた。自分が座っていた岩を遠巻きにして近づいてくる足取りは、立てるはずのない足音のかわりに、パヴェルへの警戒を隠そうともしなかった。
 彼女の仕草に笑いを堪えながら、イェナはパヴェルの顔を見る。
「この方は教授と話したいそうですよ。わたしが仲立ちになりますから、竜の言葉がそのまま伝わるとは限りませんが」
「ほんとうに?」
 問いはしたものの、パヴェルは仔細を考える気はないようだった。竜もまたイェナの言葉を咎める気はないようだった。かわりに彼女はおもむろに身を乗り出し、パヴェルが傾けたバケツのなかをのぞき込む。
 赤いプラスチックのバケツにはびっしりとカニが入っていた。足場が傾いたおかげで膠着が崩れ、押し合いへし合いの大騒ぎになっている。
「このカニは?」
 ひしめくカニの群れに対し、水竜が柳眉を寄せたことを、イェナは見逃さなかった。
「カニ」
「……カニ、と」
「なんていうカニ?」
「カニはカニで、エビではないのだからカニだ」
「あー、うん、そのあたりはわたしがお調べします。わざわざ竜の言葉を賜るまでもありませんからね、教授」
 パヴェルはえーと不服げな声を発する。けれどもその瞳に浮かぶのは不信のたぐいの色ではない。彼はあくまで咎める意図を持ってイェナを見ている。
「君、働き口に困ったら聖職に就く感じでしょう? 竜を説得しようとか、信徒に耳障りのいいことを言おうとか、そういう考え方はないのかな」
 ほらきた、とイェナは思う。彼はこういう男だ。
 ――イェナがはじめて必要に駆られて花虫を使ったとき、たまたまそれを見ていたのがパヴェルだった。以来彼はイェナの目に興味を持ち、海洋科学部と生物学部のあいだに存在する、自分の学部に引き入れるに至った。普通に見えるところはそろそろ僕が手を出さなくてもいいから、と笑った彼の顔を、イェナは今でもありありと思い出せる。週に一度は思い出して、そのたびにひどい後悔をしているからだ。
 なにしろパヴェルはある意味では鷹揚だが、またある意味ではひどく偏屈だ。見えるところに興味をなくして久しい彼は、紫の目に見える世界に――つまりは竜たちのいる世界にひどく執心している。
 真面目な信徒でもないくせに、やたら熱心に竜の言葉を求めるのも、その一環だ。
 言葉を求められる竜はというと、青い瞳に冷ややかな色を浮かべている。その正体は呆れか、あるいはもっと違う感情か。イェナが判断を下すより先に、
「わたしにわからないのだと言ってくれ」
 と彼女は言った。
「ほんとうに、ですか?」
 念押しとしての言葉には、見紛うことのない首肯の動作。それでも戸惑いかけたイェナの背中を強く押したのは、パヴェルがバケツの縁を叩く音だった。
「……正直なところ、そんな矮小な生き物のことは存じ上げないそうです」
 神たる竜の巫覡であるキャリアの言葉に、パヴェルは鼻白んだ表情を見せた。いかに教授という地位を持とうと、彼もしょせんは一介の人だ。だからこその当惑に対して、水竜はひどく満足そうな顔を隠そうともしなかった。
「矮小……矮小。まぁたしかに、言われてみれば小さいもんなぁ」
 パヴェルはしょぼくれた顔でバケツの縁に手を置く。
 その背後に歩み寄ってきたロズが、呆れ切った様子で肩をすくめた。
「だから言ったじゃないですか。竜はイソガニなんかに興味ないんですよ」
 先輩の言葉を耳にして、イェナはあらためてバケツに目を向けた。ひしめくカニはロズが言うようにイソガニだ。緑灰色と紫色の甲殻を持つ、動きの速い種のカニである。雄の鋏の間接部には特有の袋がついているから、その他のカニとの区別は難しくない。
 その動きを眺めることしばし、イェナはそっとバケツに手を突っ込んだ。外敵の接近に際して振りかざされる鋏を避け、狙い澄ましたカニを摘まみ上げる。ディスプレイの光に当てた小さなカニは、ほんのわずか、ほかのカニよりも平たい身体つきをしていた。
「ヒライソガニだね」
 とロズ。
「そうそう、このあたりだと生息域が被るみたいでねぇ。これはイソガニと色がそっくりで気に入ったやつなの」
 パヴェルはにっこりと笑った。ほんの一瞬前まで凹んでいた人間には見えないほどの、ひどく嬉しそうな笑みだった。
「ということは、選り好みができるほどいたんですね」
 言って、イェナは竜のほうへとカニを差し出した。竜はおもむろにカニに顔を近づけ、ややののちに首をかしげた。
「この色はめずらかなのか」
 と尋ねてくるので、
「そこまででは」
 と返す。ふぅんと応じた竜がさらに身を乗り出したとき、カニが大きく鋏を振った。威嚇のための動作だ。それが当たるわけでもなかろうに、竜はあわてて首を縮こめる。入れ替わりに爪を振るうのをやめたカニのことを、イェナは真正面からじっと見やった。
 眼球は黒。紫ではない。先にイェナが応じたとおり、さして珍しいヒライソガニではなさそうだ。深く考えるまでもなく一般的で、図鑑に載っていてもおかしくない個体にしか見えない。
「どうかした? 新種?」
 尋ねてきたのがロズであったので、イェナは間髪入れずに首を横に振った。
「竜に威嚇をしていたから、竜が見えるのかなって思っただけです。まぁ、竜が見えなくてもイソガニと混じってるだけで価値がありますけど……」
「混じってるだけで、定着した雑種とかでもないよねぇ。せっかく捕まえたのに」
「竜が見えるなら新種ってことにしてもいいですけど、ほんとうに見えてるかはカニ語がわからないと謎ですしね」
「仮にカニ型キャリアがいるとして、カニと竜が契約するメリットって皆無でしょ」
「それってあきらかにカニが下だと思ってるでしょう。カニに対して無礼だよ」
「知能レベルに関してはカニと人間を比較するほうが烏滸がましいでしょ。バカか」
 矢庭に立ち上がったパヴェルに対し、ロズは真正面から向き合った。波音にも負けない勢いで言い争う二者の姿に対し、竜は不思議そうにまばたきをした。イェナのほうから声をかけると、ひと呼吸の間をおいて目線をくれる。
「ごめんなさい、驚かせましたか」
 いいやと竜は頭を振ったが、整った顔には驚きに似た色が浮いたままだ。水竜自身もそれに気づいたのか、そっと顔を手で撫で、ついでイェナの横に腰を下ろす。
 続けて、深く長い溜息の音。
「おまえはずいぶん達者に生き物の見分けがつくのだな」
 イェナは首肯した。シエタの作ったソフトウェアがいかに優れていても、その大本となるのは人の知識だ。ソフトウェアの改善を進めようとする限り、進めようとする人間にもそれ相応の知識が必要となる。
 おかげで、イェナはだいぶ生物に関する知識をつけなくてはならなかった。そのために山のような本を読み、何度も何度もネットワークの海を泳いだ。そうして知識量を増やした自負があるが、パヴェルはもちろん、ロズにの足許もまだ及ばない。
 だからこそ、誰かに褒められるのは嬉しかった。同時に後ろめたい気持ちがあり、恥ずかしいような気持ちもある。
「わたしなんかより、機械はもっと賢いんですよ。だからですね、知っていることならレスポンスくらい勝っていないとって、一種の意地みたいなのがあるだけで……」
「わたしは、おまえもじゅうぶん賢しいと思う。それは駄目なことか?」
「駄目……駄目なことは、ないんです、けど」
 かわりに顔から火が出そうだ。
 だというのに、顔を埋められるはずの膝の上には端末が載っていて、顔を隠せるはずの手にはカニを持っている。イェナは低く唸りを上げ、仕方なく顔をうつむけるに留めた。カニを遺棄することも考えたが、それはそれで問題があるような気がしてしまったのだ。
 かんらと竜が笑う声がする。
「賢しい者同士だと、話もずいぶん楽しそうに見える。知識の多寡が世界の見え方を分けると聞いたが、あれを見るに真のようだな」
 それについてはイェナも強く同意できた。もはやイェナには不明瞭な話をし始めたパヴェルとロズは、どちらもあくまでひどく楽しそうだ。あの話に加わることが叶えば、それは至上の愉しみではないかとさえ思えるほどに。
 ちらとうかがい見た竜の顔には、同じ言葉が書いてあった。互いの意識を共有するまでもない、あまりにたしかな言葉だった。
「わたしも、自分の来歴くらいは知っておいてもよさそうだ」
 裏付けるような言葉に向けて、イェナはそっと微笑んだ。
 

 
 その夜、竜はイェナとともに岩礁を離れた。彼女が宿舎に入っても、周りの学生たちはなにも言わなかった。見えていないからだ。見えると困ったことになるなどと言わずとも、水竜はかわらずイェナとの契約を固辞していた。
「それで、ええと。あなたの来歴でしたね」
 言いつつイェナは端末を開いた。ディスプレイが点灯するのと入れ替わりに、紫の目で部屋のなかを見渡す。
「どうした」
 水竜の問いかけはやたらにはっきりと聞こえる。その声色を耳にして、イェナは違和感と呼ぶべきものにようやっと気づいた。――痺虫がいないのだ。
「やけに静かなだな、と思って」
 わんわんと煩かったはずの羽音は消え、コンクリートの壁には波の音が染みている。青い色のする音だ、とイェナは思った。部屋のなか、ベッドに腰かけた竜の髪と同じ音。彼女の尻に敷かれたシーツは、皺のひとつも作っていない。
 水竜はその上に手を置き、さもありなんと首肯した。竜の虫は竜に劣後するものであるがゆえ、竜を避けることも少なくはないのだ。滅多に己の住まいを離れない彼女でも、それをよくよく知っているようだった。
「では、あらためて」
 硬い木の椅子に腰を下ろしたまま、イェナはソフトウェアを立ち上げた。アドラからの電波はうまく拾えている。アンテナピクトの表示は「絶好調」だ。このぶんならば、シエタの管理下にあるサーバーを直接操作できるだろう。――それなら。
「いくつか質問が出ますから、そちらに答えてくださいね。答えがわからなかったり、忘れてしまったものは教えてください」
 そういう荒業も可能である。膨大なデータの海から総当たりで目標物を捜すことは、シエタのソフトウェアが得意とするところだ。なにしろ彼は人間と異なり、一切の目星を必要とせず、諦めるということを知らないもので。
 同胎のきょうだいはいない。水の生き物であり、陸の生き物である。泳ぐ。音を聞く。厚い氷の記憶。呼吸をする。寒さに強い。視覚がある。明暗を知覚できる。瞼がある。群れを作らない。言葉を使う。色がわかる――
「エラーが出ちゃいました。結果から見ると人っぽいですけど……」
「おまえ、耐寒性に自信はあるか?」
「あんまり自信がないですねえ。でも、寒さっていうのもけっこう曖昧な表現ですし。数値指定……はだめか。それじゃあ、こうしましょう」
 イェナは入力キーを操作て「色がわからない」と指定した。にわかにディスプレイには水生の哺乳類の画像が並べられ、記憶にあるものを指定せよ、と端的な命令が表示される。
「言葉を使うか、って割と対象が絞れた段階で出てくる言葉なんですよね。ですので、ざっくりとした候補はこのあたりになると思います」
 言って示した画面に並ぶ画像は、鯨偶蹄目の画像ばかりだ。なかでも鯨凹歯類――いわゆる鯨やイルカ、ひいては水中に暮らす哺乳類。
 アザラシやセイウチを含む鰭脚類と比べて水に親しい彼らは、水竜の前世としては理想的だろう。カヤネズミが火竜になるより自然で、想像しやすい。物語としても、美しい。すうとまっすぐに伸びた指がディスプレイを示すのを見て、イェナは柔らかく微笑んだ。
「ヒゲクジラですね。この種類は、たぶん歌を歌う種類だったはず……」
「言葉を使う、というわけだ」
 水竜は脚を組んだ。見えない鈴がしゃらんとかすかな音を立てる。
 長々とした余韻が消えたころ、にわかに虫の羽音がイェナの鼓膜を打った。波のように近づき、そうして離れてゆく音。一直線にどこかへ向かうたぐいの音だとイェナは思った。普段ならば寄り集まって群がる端末にも目をくれず、一心不乱に。
 ディスプレイから目線を外した竜は、虫たちの行方のほうへ顔を向けた。組んだ脚を解いて立ち上がる。
 歩き出した彼女を追おうとしたイェナは、扉によって道行を妨げられた。その扉が強く叩かれ、ひゃあと情けのない悲鳴を上げる。それが間近から発せられたことを察してか、さほどの躊躇も見せずに扉が開いた。そこにいたのはパヴェルではなく、ロズでもない。名前も知らない同期生だ。彼女はえらく興奮した面持ちで、廊下の向こうを指さした。
「遺物、大きいのが上がるって!」
「そうなの? でも……」
 イェナにとっては専門外の話だ。思わず鼻白むイェナの手を、彼女は強く握り締めた。
「珊瑚がたくさんついてるって。好きでしょ、珊瑚」
「ほんと! 行く!」
 飛び出した廊下に水竜の影はない。――ふたたびイェナが彼女の姿を目撃したのは、船に取り付けられたクレーンが引き上げられる港でのことだった。