一:王女と新しい仕事 iii

「へえぇ、ついに目付役がつくんですね。いい気味です」
 とアマリエは言った。
 僕が思わず目を丸くすると、わざとらしい咳払いをひとつ。それでもさも楽しそうな、嬉しそうな、底意地の悪い顔は隠し切れていない。
 思えばこの小さな侍女は、主人に忠誠を誓っている。それはもはや盲信と呼んでも差しつかえのないものだ。だからこそ彼女は、エクリールの親戚筋の御落胤かなにかということになっている僕に対しても、いろいろと便宜を図ってくれる。
 そしてどうやらエクリールへの敬意に欠くクロイツに対しては、敵意にも似た感情を抱いているらしい。というのを、僕は今はっきりと確信した。
「とは言え、別に仕事ができない男ではないんですよ。ちょっとふるまいに問題があるだけで」
「それは仕事ができない人間より、よほどひどいとは言わない?」
 こちらからの言葉に、アマリエはふふふと笑う。続く否定の言葉はなかった。
 なので僕も少しだけ苦笑を漏らして、手元の本へ目線を落とす。
 史書ではなく、王都から持って来た蝶の図鑑だ。木版画によって再現された蝶の羽は、ひとの手が刷り上げたとは信じ難い精緻の極み。この雪深い国にはいない種は、とくに鮮やかな色の顔料で刷られている。
 アマリエはそれをちらと覗いてから、自分の手中に目線を移した。正確には自身が握る細い鉤針と、それが編み上げる一本の糸に。
 侍女見習いである彼女が担当する本日の仕事は、もうすべて終わっている。ゆえに彼女はこうやって、手工芸を学ぶことに精を出しているというわけだ。ちなみに食堂の隣の談話室で僕と同じ机を使っているのは、蝋燭の節約のためである。
「しかしまた、ずいぶんと急な話ではありますねぇ」
 糸玉から吐き出される綿糸は、蚕の作る繭糸のよう。染みひとつなく洗練され、すべらかな表面には毛羽立ちのひとつもない。無数の通りのすべてが職人の名を冠する、工業都市たるトゥーリーズの職人の手から成る逸品だ。
 その長い糸を鉤針ひとつで編み上げるアマリエの器用さには、僕など感心することしかできない。さすがはトゥーリーズ育ちの娘と言うべきか、鍛冶師として名高いラリューシャの孫と言うべきか、とかく彼女はこういう仕事がうまいのだった。
「アマリエも、心当たりはない?」
「ない……というより多すぎるんです。あいつ、ルカ様がいらっしゃる前にはひったくりの肩を外したこともあるんですよ」
 それ以外にも――と言いかけて、彼女は首を横に振る。上げればきりがない、とでも言いたげな所作だ。僕はついつい眺めていたレース作りの動きから、アマリエ自身の顔へと目線を移す。
 ラリューシャ譲りの赤銅の瞳が、こちらを見返して瞬いた。
「ルカさまは、エクリールさまに理由をお尋ねにならなかったのですか?」
 問われて、肩をすくめる。
「聞いたりして、嫌な仕事を押し付けたかも、なんて気を使わせたくないじゃない」
 アマリエは納得した様相でうなずいた。
「たしかに、あの方はなんの拍子に倒れるかわかりませんからね。心中お察しします」
 ――談話室の外からは水音が聞こえる。夕餉のあとの洗い物をするための音が。
 僕はこの宿舎に身を寄せているのだけれど、実のところ日々の雑事とは縁がない。それは僕があくまでエクリールの客人扱いであると同時に、そもそも壊滅的に家事の腕がないせいでもあった。才能がないというよりも、不慣れが過ぎて効率が悪いのだ。
 おかげで日々の雑事に参加できない僕がここで暮らせるのは、エクリールの威光あってのこと――よって、僕はできるだけ彼の負担になりたくないと思っている。そしてもしも彼から頼られるのなら、可能な限り素直に力添えをしたいと考えていた。
 だからこそ僕は夕刻、自分の話し相手にエクリールではなく、クロイツを選んだのだ。
 エクリールへの負担を避けた上で、自分自身が納得のできる仕事をしたいと思ったがゆえの、苦肉の策である。その顛末を語るには、もう少し前の時間にさかのぼる必要があった。