一:王女と新しい仕事 iv

「いや、普通に言いたくねぇ」
 クロイツの返答は明瞭だった。
「言えない、ではなく?」
「二回言わせんな。話してやってもいいが、はじめから最後まで話すと丸一日かかる」
「……またずいぶんと長いな」
「だから言いたくねぇって言ってんだろうがよ」
 予備の角燈を手に出た役場の廊下で、白衣の魔術師はしっかりと腕を組み、壁にもたれかかっていた。その婉麗な顔には面倒くさいとはっきり書かれている。もはや大書の域と呼んでも間違いはなさそうだ。
「おまえが大将の頼みを断れないのは知ってる。それにな、おまえがあいつの親戚筋なんかじゃねぇのは見りゃわかるんだよ、見りゃ」
 その言葉に釣られるように、僕は自分の姿を見下ろした。外套の下にある身体は肉付きが薄く、丸みに乏しい。着込んだ服は宿舎で借りた麻のシャツとズボン。どちらも男物。僕の身体は女らしさとは程遠く、こういう服のほうが自然に見えるのだ。
 しかしながら、クロイツが言う「見ればわかる」はそういうことではないだろう。
 僕は視界にかかる前髪をつまんで、ずいぶんと前から用意してあった台詞を口にする。
「遠縁の外戚かもしれないよ」
 エクリールが生まれた伯爵家の人間は、誰も彼もが銀の髪と青の目だ。
 なにせ彼らの父祖は、旧い獣と交わって久しい。失礼を承知で家畜にたとえるならば、品種の改良が完結し、安定した子が生まれるようになったあたり。だからこそ僕は色を理由に身分を疑われるなら、こう答えようと最初から決めていた。
 そんな応えに対する魔術師からの答酬は、まず第一に鼻で笑うという単純きわまりない所作であった。
「嘘つけ、そんなもんいるか。法螺吹くなとは言わねぇけど、馬鹿は馬鹿なりに少しは大将と相談してから喋れよな」
 夜明け前の空に似た黒い瞳には、侮蔑と憐憫の色が浮かんでいる。その瞳でしかと僕を見据えて、彼は続けた。
「そもそもおまえ、どうせあいつの頼みを断るつもりなんて端ッからねぇだろ」
 言い切る声音はといえば、ひとりでに唄うという御伽噺の銀鈴を想わせる響き。
 対する僕が怯んだような気分になったのは、彼と先生がよく似ていることもあったが、放たれた言葉が擁した刃の気配を感じたせいもある。
「俺を呼んだのもつまり、自分が後腐れなく仕事をしたいっていうだけの話だ。違うか」
「それは、まあ、そうなんだけど……」
 歯切れの悪い僕の言葉に、魔術師は唇の端を吊り上げる。背丈なら僕のほうが高いはずなのに、見下されている気分がした。
 もっともそんなものは本当に気のせいで、彼は僕を斜に見上げているのが真実だ。
「とは言っても、目付役がつくのは俺にとっても悪い話じゃねぇ」
「……そういうもの?」
「なにせ俺は嘘がつけねぇからな。誤魔化しにだって限度があるのさ」
 そう言ってクロイツは嘆息し、僕は合点が行ったとうなずいた。
 一夜の夢と引き換えにこの国をヒトへ貸し与えた獣の王は、形而上の最果てへ去り往くにあたり、己が子らへみっつの命題を与えたという。
 ひとつ。この地を去る自身に代わってヒトの生き様を見届け、夢物語に換えること。
 ふたつ。王には必ず獣が寄り添って、その治世を見届けること。
 みっつ。それらの〈夢〉に、一切の嘘偽りを混ぜぬこと。
 このように定めた言の葉喰らいの黒き竜へ仕えることを理由に、獣たちは一切の嘘をつかなくなった。
 そして死後同じ主を戴くことを望む魔術師もまた、一切の嘘をつかぬ生き物として振る舞うようになった――というのは、寝物語の類であるが、それ自体は嘘ではない。けれどもそれがまったくの真実かと問われれば、首を縦には振り難い。
 その好例が目の前の魔術師だ。嘘はつかず、しかして他者を騙さないわけではない。そのように振る舞う生き物が、少なからず発生している。
 僕は嘆息とともに左の頬を指先で撫でた。特に意味のない動きではあるけれど、こうしていると無為に落ち着く。それに伴い、唇からこぼれた言葉はいくらか滑らかだった。
「君と僕の利害が一致する限りは、誤魔化しくらいは手伝ってやってもいいけど」
 正直、僕自身は誤魔化される以前の問題に直面している。
 聞いたことには答えてもらえていないどころか、答えたくないと明言されているのだ。
「……積極的な援護は期待するなよ」
 クロイツはうなずいた。
「俺は頭がいいからそれで十分だ」
 彼のように美しい生き物を見たのははじめてであったけれど、ここまで態度の大きな生き物もはじめて見た。王の相談役として賢しさで鳴らした僕の先生だって、こうもはっきり自分の知性を誇ることはなかったように思う。
 僕が気づいていなかっただけかしら――と妙な不安を抱きつつ、深々と息を吸った。
 彼の目付役の大任を受けることは、もはや撤回しようもない。が、はっきりさせておく必要がある事項は、まだある。
「あと、僕は周りに君が目付役を必要とする理由について聞くぞ。とやかく言うなよ」
 クロイツはどこか優雅にも見える澄まし顔で、うなずいた。
 そうして僕らは連れ立って室内へと戻ることにする。先刻「出て行け」とクロイツに命じた当人であるエクリールは、部屋の中で相も変わらず煙管の煙を呑んでいた。
 部屋を照らす光源である角燈に灯されたの火と同じ青い目が、僕らを捉えてひとつふたつと瞬く。その視線を受け止め切れない僕に変わって、クロイツは僕が仕事を受ける旨だけを手短に伝えた。
 ――そして、話は今へ至る。