一:王女と新しい仕事 ix

「ラリューシャとクロイツは古い知り合いだからね」
 そう言ってエクリールは喉の奥だけで笑った。
 役所へ招かれた僕の一連の報告を聞いて、最初に示した反応がそれだった。話題にされた側はといえば、拗ねたように明後日のほうを見ている。
 今日一日で慣れ親しんだ軽口はなく、背けられた顔からは表情がうかがえない。
 窓枠に座って片膝を立て、頬杖をついたその姿には、どこか絵画のような風情があるばかり。金糸をまとった外套の裾だけが、白い煙と戯れるように、音もなく夜風に揺れていた。
「たしかアマリエよりも長いよね」
 体ごと振り返ったエクリールが問うと、かすかに頭が上下に動く。
「あんたより長いだろ。忘れたのかよ」
 ようやっと発された声は、それまでの静謐ゆえの美しさをすべて台無しにする、いつもどおりの声だった。
 僕は勝手に辟易した気分になりながら、エクリールのほうに目線を据える。
「……話は戻るのですが」
 こちらを見た隻眼は、今日は黒革の眼帯に覆われていた。
 普段より一層鋭く見える眼差しを笑みで薄めながら、煙管の火皿の中身を入れ替える。
「聞こうか」
 吸い上げるたびに吐き出される煙からは、いつもと同じ冬のはじまりの匂いがする。つんと鼻の奥が痛むような、冷えて乾いた空気の匂い。
「滞在証の割符を盗むというのは、どういった意図があってのことでしょうか」
「書類上は正規の手段で逃げてしまった人間を、自分たちの領地へ連れ戻す――そのあとの使い途なんて、君が思うとおりだと思うけれど?」
 この香りを吸い込みすぎると、僕などは頭痛を発することがある。そういう類の香薬なのだと教えてくれたのは先生だった。本来であれば香炉で焚いて使うものらしいのだが、エクリールはそれを煙管で吸う。一度尋ねたところによると、なんとも不健康そうに見えるのが堪らなく好きらしい。
「本当にそれだけでしょうか」
 懐かしい記憶に縁を切り、姿勢を正して問いを重ねる。蔓桔梗を想わせる青い目が、笑みとは別の形に細まるのが見えた。
「脱出した領民を領地に連れ戻したところで、使い途など高が知れているはずなのです」
 返答に先んじて、エクリールは燃え残りの滓を灰吹きの中へ捨てる。その様を見やりながら、僕はふたたび唇を開いた。
「だから、そう、たとえば――」
 空になった煙管を指先に挟み、頬杖をついてから、隻眼の男は口の端を吊り上げる。
「たとえばそれを足がかりに、僕をここから罷免する?」
 この病弱な既知は、軍人である。それも部下を束ねて指揮するような、佐官位持ちの。
 けれども煙管を挟んだ指先の色は、紛うことなき白だ。生命力と呼べるようなものとは程遠い、骨にも似た色と質感。およそ争いごとからも縁遠く見えるのは、彼が今の位を労せずして得たからにほかならない。
 かわりに彼が地位の礎としたものの正体は、窓の外にある。あるいは、ないとも言える。
 窓から見えるはずの邸は燃え落ちて久しいが、周囲には火と水の害が及んでいない。まるで建物がひとりでに燃え上がって消えたよう――もしくは燃やした当人が、その意のままに火を操りでもしたように。
 つまり、そこにあるべきものが存在しないことこそが、彼の力の正体である。
「……君はあいかわらず想像力が逞しいなぁ」
 エクリールは火を使う。未だこの国が神話のさなかにあったころ、竜やその子どもたちが操ったのと同じ、青い火を。だから彼は煙管を嗜むのに火熾しの道具を使わず、領主邸だけを選り分けて燃やすことができたのだ。
「とはいえ、間違っているわけでもないんだけどね」
 煙に霞む面が柔らかく笑う。
 ヒトのような笑顔だ、と僕は思った。しかし実際のところ、彼はヒトよりも獣に近い。さらにいうなら普通の獣より竜に近い――旧い獣への先祖返りである。
「あちらが武力に訴えるなら、僕はそれを焼くよりほかに手がないから」
 彼が操る炎は青い。鮮やかな空の色をしたそれは、瞬く間にすべてを灰へと変える現象としての劫火だ。
 その灯が照らし出す室内で、僕は乾いた唇を舐める。
「難民が来れば、この街に入れてやるせいですか」
「それも理由のひとつではある」
 どこから話したものかなと目線を彷徨わせ、それからエクリールはクロイツを呼んだ。
「都合のいいときだけ頼りやがって」
 白面を歪めてこちらを見た魔術師は、普段よりも低い声で言い放った。それから同じ調子で言葉をつなぐ。
「まず領主は自分が殺したんだって教えてやれよ、この箱入り息子に」
 黒い瞳の鋭い視線と、僕の視線が交わることはない。クロイツの双眸はまっすぐに、逸れることなくエクリールの後ろ姿を見つめている。
「殺したとはおだやかじゃないね。あれは事故だよ」
「じゃあ、それで行こう。こいつが起こした事故のせいで、この街の領主はくたばった」
 エクリールはひとつうなずいた。対するクロイツは眉のひとつも動かさない。
「だもんで、この街の増税計画は宙に浮いたままなのさ。おかげで近隣二領――トゥーラとアルシリアは、自分たちだけが増税した形になってる」
「つまり、住民の不満が大きい?」
「そういうこと。なのであちらさんとしては、自分らと足並み揃えて増税してくれる領主が欲しい。が、こいつは『領主は行方不明』で通して、この街で好き勝手してやがるんだよ」
 この言葉には首肯がなかった。かわりにエクリールは体ごと後ろを振り向いて、みずからが雇った魔術師のほうを見やる。
 応じて黒い瞳が動いて、目線を合わせたのがわかった。
「あくまで人道的に、貴族の徳に則って、統治を代行していると言ってくれる?」
「――あくまで人道的に貴族の徳に則って統治を代行してやがる」
 これではアマリエもクロイツを嫌うわけだと思った。
 けれどもそれは逃避に近い感情の発露でしかなく、わざわざそんなことを考えたわけではない。僕は自分の口許を押さえて、反射的にこぼれそうになった言葉を飲み込む。
 アマリエも、ハイロも、ラリューシャも、通関の職員たちも、誰ひとりそんなことを僕に教えてくれなかった。それは僕が王都から来た客人であったからか、それともさも当然のことだと受け止めていたからか。あるいはもっと根源的に、僕の正体を知っていたからか。
 ――戸惑いに近い表情を浮かべた僕に一瞥をくれ、クロイツはまた明後日のほうを見た。
「君はあいかわらず口が悪いなぁ。少し前にも叱った記憶があるんだけれども、そのときに僕が言ったことを憶えているかい?」
 そこに投げかけられる声は、琺瑯の器を想わせるなめらかさ。
「次は絶対にただじゃおかない」
「憶えていてもらえてなによりだ」
 にわかに鼻腔を掠めたのは、彼が吸っている香薬の匂いではなかった。
 けれども同じ冬に類する匂い。ものの――空気の焼ける匂いだ。先生がよくうっかりやらかしていた、ケトルの空焚きの匂いに似ている。
 けれどもその正体は、そんな些細なものではない。そして僕は、その正体を知っている。
 あ、と思う間もなく白い外套が翻った。窓の外へと小柄な姿が落ちて行き、白い軌跡を青い火が灼く。
 刹那の炎は空気を舐めたばかりであったが、僕の目には眩しいほどの光が焼き付いた。
「――逃げ足の早い……」
 エクリールは小さく咳いてから、中身を入れ替えた煙管を銜える。
「にげ……ましたか、今の」
「手応えがなかったから、間違いなく逃げたと思う」
 彼の操る火はすべてを灰燼に帰すと言ったが、それは実際のところ、必ずしも正しい表現ではない。短い盛夏の空の色をした焔は、あるじの意とあらば一握の灰さえ残しはしない。
 広い邸宅でさえそうなのだから、魔術師――ヒトのひとりやふたり、綺麗さっぱり消えてしまうこともあるだろう。僕は胸のざわめきに似たものを抱いて、椅子から立ち上がる。
 改めて探った窓枠にはなんの痕跡もなかった。体温さえ夜風に攫われ、木枠は冷ややかさだけを佩びている。
 二階から見下ろした領主邸の敷地の中にも、あの白い姿を見出すことはできなかった。
「手応え……」
 エクリールがなにかを焼くために必要なのは、対象を視認することであると、昔聞いたことがある。それは裏を返せば、目に映るものならなんでも焼けるということでもある。
 思わずつぶやいた言葉に、彼はどこか愉しげな笑い声を返して来た。
「勘、のようなもの。この地位を得るのに、何百何千とものを焼いて来たからね」
 振り返って目にした笑みは、むしろ柔和でさえある。
 しかし僕は知っていた。この病弱な男がわたしに輪をかけた箱入りで、自分が後生大事に抱えた義に悖ることの、一切を赦せぬ性分であることを。
 それは彼の生家の者なら大なり小なり持つ性質であるが、おおむね世間との軋轢を経ることで、現実と折り合いをつけることを覚える。けれどもエクリールは折り合いをつけることを学ぶより先に、身体ばかりが大人になってしまった。
 だから、クロイツの言葉はけっして嘘ではないのだろう。
 エクリールが見て見ぬふりのできないことを仕出かした領主は、炎に巻かれて跡形もなく消えてしまった――
「……通関については少し考えたほうがいいね。報告をありがとう、ルカ」
「いえ、仕事ですから。ところで、」
 音を立てて、大きく息を吸う。
 肺腑へ、腹へ。血の廻りに合わせて、酸素ではないものを躯へと取り入れる想像をした。
「僕がここへ来た理由を覚えていますか」
「覚えているとも。納税の額が資産に合わない、隠しているものがあるなら出せと、弟御から言い遣ったのだったね」
 銀の煙管が灰吹きを叩く。響く音は一度切り。
 僕は窓枠に手を置いたまま、珍しく煙管を手放した知人の姿を振り返った。
「増税をしていないから、税収が資産と合うはずがない。そういう顛末だったのですね」
「そうだよ。どうしても折り合いがつかないうちに、不幸な事故が起きてしまった。結果として監査官が来て、後は知ってのとおり――とでも言おうか」
 僕らは今まで、一度たりともこういう話はして来なかった。窓を締め切った馬車に詰め込まれて、王都から遥々数日をかけてこの地を訪れた日から、ずっと。
 話そうと思ったときには、僕は王位を諦めていずこかへ去ったことになっていた。そういうふうに、先生からの手紙が届いた。
「事故について、近隣の領主はなんと?」
「知らない」
 目を見開く。とたんにエクリールは目許を綻ばせ、肩をすくめた。
「前の領主は行方不明なんだ」
 つまりトゥーラもアルシリアも、領主が殺害されたことなど知らないふりをしている。
 その理由は、明白だ。
 二都市はまず、始祖たる竜の火に灼かれることを恐れている。それから王都に領主の死とエクリールの罪を訴えたところで、彼を処罰するためという名目で、自分たちが矢面に立たされる事実をよくよく理解している。
 だからどちらの都市の領主も、エクリールをここに置いておくよりほかにない。
 少なくとも今は、まだ。――その事実をようよう悟って、嘆息する。
「ちなみにもし、僕がこの話を王都まで持って帰ったら」
「間違いなく僕の処刑が決まるだろうけれど、王都に帰った君も間違いなく不幸な事故に遭うだろうね。だから僕らは――」
「共犯者、ですね」
 部屋を後にする前、開け放たれた窓を閉めた。
 ふたたび目線を投げた先に、クロイツの気配はない。やはり彼はどこかへ去ってしまったようだった。
 彼は帰って来るだろうか、などと他愛もない考えに浸りつつ、寝台へと潜り混む。
 目を閉じれば寒さよりも疲れが勝って、眠りの訪れは早かった。今日はいろいろなことがあり過ぎたのだ。
 その余韻に浸る間さえない眠りは、どちらかといえばひどく懐かしい――