四:王の獣 iii

 結局のところ、僕がふたたび魔術師の姿を見つけたのは、宿舎の住人の大半が夕餉を終えた刻限のことだった。
 白い布を頭から被った姿は特徴的で、たとえ後ろ姿でも見間違うことはない。
「クロイツ」
 名前を呼ぶと、安楽椅子の上の白い布地がかすかに揺れる。
 前に回って覗き見ると、夜の色の瞳はじっと暖炉の火を見つめていた。
「ハイロから言伝があるんだけど」
 クロイツの瞳は、王冠を飾る玖玉によく似ている。
 ――あれは獣たちの中でも随一の職人の手によって、ひたすら丁寧に磨かれた尖晶石だ。
 尖晶石はこの国において、捜せばすべての色が揃うという伝承ゆえに、宝石の女王と謳われる一等の貴石である。
 けれどもクロイツの瞳は、あくまでそれに似ているだけ。尖晶石そのものの黒ではない。
 炎を映した彼の目は、虹彩の縁に金の煌めきを湛えている。炎の明かりに翳したところでこうして輝いてみせる尖晶石を、僕は知らない。見たこともないし、聞いたこともない。
「聞いてやろう」
 その複雑な黒のまなこを細めて、彼は応えた。
「ラリューシャが、返すものがあるってさ」
「俺にひとりで取りに来いって?」
 僕は首をかしげる。そこまでは知らない、の意思表示だ。
 対してクロイツは足を組み、膝の上を指先で叩いた。
「俺、しばらく忙しいんだよね。大将の側からあんまりいなくなるなって言われてるし」
 苛立っているというより、なにかを考え込むふうの声だった。
 彼はそのまま小さく唸って、改めて僕の顔を見上げる。黒を取り巻く金の輪がふつりと解けて、常闇じみた瞳と視線がかち合った。
「……おまえさ、どうせ仕事なくて暇だろ。俺のかわりに取りに行ってくれない?」
 気安い調子の言葉に口許が引き攣る。僕はラリューシャの工房を幾度となく訪っているものの、その主人と言葉を交わしたことはほぼ皆無なのだ。彼から預かり物を受け取って来るなど、困難を通り越して無謀である。
 失敗で済めばまだましだとさえ思った。
「おまえなら行けるって」
 思わず口を噤んだ僕に対し、クロイツは溜息混じりにそう告げる。
「鍛冶屋通りの出身のやつじゃ駄目か? 顔見知りだったら僕よりましだと思うけど」
 これは名案だと思ったが、魔術師は首を縦に振らなかった。
「別に行かせてもいいけど」
 尖晶石は宝石の女王であるが、黒は第一に獣たちの祖――この国すべてを真に統べる者の色だ。よき魔術師になるためにと、誰もが必ず一度は望む色。
 けっして腕のよい魔術師とは呼び得ない彼は、その色の双眸を伏せることはしない。ただまっすぐに僕を見据えて、形のよい唇を開く。
「どうせ他の誰に行かせたって、追い返されて終わりだ」
 零れ落ちる銀鈴の声は確信に満ち溢れていた。
「なら行って来るけど、預けているのがなにかくらいは教えてくれ」
「俺の生き甲斐」
 ついでに返って来る言葉は相変わらずの迷いのなさ。ただしそれは僕が知る限り、誰かに預けられるようなものではないはずだ。
 右の眉を上げて疑念を示せば、魔術師は緩々とまなこを細める。
「重くはない。持って帰って来るのも難しくないから、それについては安心していい」
 そのように言われてしまえば、正体を言えと詰め寄ることも難しい。
 彼には残念ながら、一度吐いた言葉を撤回するという機能はついていないのだ。
 ――僕は溜息とともに肩を落とし、腕を組んでみせる。行くことはするが、けっしてそれは納得尽くの事柄ではない。その意思表示として。
「もし持って帰って来られなくても、文句は聞かないからな」
「うむ。良きに計らえ」
 談話室から出て行く僕を送ってくれたのは、たおやかなばかりの手を振る動き。扉を閉める前に振り返れば、光を撥ねる珠の肌ばかりがやけに目についた。